倉田裕之/非公式ブログ:建築
2010-04-25T12:54:46+09:00
marghe
建築設計事務所を続けている筆者の日常的に出会う出来事、昔の事、また自由業としてのその裏側、更には商品開発のためのマーケッティングを目的としています。あくまでも標題の通り「非公式」だよ。
Excite Blog
開閉デッキ
http://margherita.exblog.jp/10992572/
2010-04-21T20:41:00+09:00
2010-04-25T12:54:46+09:00
2010-04-21T20:41:24+09:00
marghe
建築
グレーチングという手もあった。しかしグレーチングは上から見てる分にはいいけど見上げた時には見れたもんではない。目詰まりしたフィルターを空に翳してるようなシルエット。それと相まってどことなく幽閉された感じも漂う。であれば
「必要に応じて中庭のデッキを開ける」
という途方もない考えに行き着いた。でもどうやって・・・開ける?(であるから途方もないのだが・・・)で実行したものがこれ。
開閉デッキ。こうやって開ける。
こういう動きを伴う機械設計になると急に門外漢になってしまうため機構の設計とフレームの制作はその専門に依頼した。普段から頻繁に開け閉めしていると今後もそれなりにスムースに動くと思われるが閉めっぱなし状態が続くと馴染んでしまってきしむ可能性も高いと言われている。
ところでその地下室から見たところはこんな感じ。今度は順に閉まって行く様子。
機構の設計及び制作はアイエスマック]]>
ウッドデッキの中庭
http://margherita.exblog.jp/10990778/
2010-04-21T10:44:00+09:00
2010-04-21T12:51:35+09:00
2010-04-21T10:44:17+09:00
marghe
建築
二分すると言うことは同時にその大きな中庭を挟んで二棟の建物が対峙する形になる。その二棟がそれぞれの独立住居ではなく生活パターンとしてのパブリックとプライベートの分離を中庭を介して行ってると言っていい。建弊率が低いいわゆる高級住宅地でそれを展開する場合、その建弊率をかせぐ空隙部分はその殆どを中庭が担うのが実情だ。囲まれた世界に展開される建物、更にその建物と建物に囲われる中庭。ただのスクエアなスペースもこういった二重の要素で挟まれると違った空間として自立するかに見える。
この中庭は庭とは言いながらも土はなく床は全てウッドデッキで構成。更にそのウッドデッキが一部室内にも入り込み上下足の履き替えゾーンをファジーに構成しようとしている。この家は完全なバリアフリーで床に一切の段差がないため下足を履き替える明確なゾーンがない。そのあいまいなゾーンをここでは中庭から延長されたウッドデッキが担っている。言い換えれば室内の床がそのまま延長して中庭の床を構成する仕組み、とも言える。
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タニコー システムキッチン
http://margherita.exblog.jp/10920998/
2010-04-01T10:24:00+09:00
2010-04-14T11:14:17+09:00
2010-04-01T10:24:18+09:00
marghe
建築
大手メーカーが作るシステムキッチンはそもそもその「本業」ではないためか冒険的なデザインはあり得ない。一方でキッチンが本業であるキッチンメーカーが作るそれは人材不足からか垢抜けない、と結果そのデザインだけがどうも置き去りにされている感があったと言っても過言ではない。その当時で目を見張るような綺麗な構成のキッチンはその殆どがヨーロッパ、特にイタリアのものが多く、もともと高い上に輸入コストが上乗せされたそれらはあまりにかけ離れた価格から何か別の世界の出来事の様に思われた。
ところがその流麗なデザインのキッチンには大きな落とし穴が潜む。それは「キッチンが綺麗すぎて現実の生活観と乖離して見える」そのため、「ここで料理なんてしないだろう」とも見え、極端な言い方をすれば「料理が下手に見えるキッチン」なのだ。そこをついて出てきたのが国内のキッチン専業のメーカーによるステンレスを多用した「業務用」っぽく見えるキッチン。しかもご丁寧に足元まで空かして水洗いを原則とするプロの厨房のウェット仕様の床を彷彿させるデザイン。ディテールにも余念がなくラフな使用に十分耐えられるべく形状。これが売れた。新しく住宅を作る主婦、特にその若い層の憧れの的になった。その後、このステンレス製の「料理が上手そうに見えるキッチン」を国内各社は追随した。その結果2,3年前の住宅雑誌のキッチンの特集はどれもこれもステンレスの「業務用っぽく見える」キッチン一色、となった時があった。
と、前置きが長かったんだけどこの大手の「片手間ジャンル商品」、専業メーカーの「右へ倣え商品」のステンレス製厨房を横目に見ながら今ひとつ疑問を感じながらもこれまでそういった商品を出してこなかったメーカーがある。それは業務用厨房の専門メーカーだ。業務用、すなわちレストランや食堂の厨房といったプロ仕様、まさに「使い倒す」ためのキッチン。これは一般的には馴染みのないゾーンだけどこの業務用厨房機器というジャンルは冷蔵庫のメーカーとステンレス流しのメーカーでほぼその市場を寡占状態にしていると言っていい。その片翼であるステンレス流しのメーカー。彼らにしてみれば本来はこれまで業務用のステンレスの流しを中心に専門にやってきたところ。しかし最近それを模倣した家庭用のキッチンがのさばっている。これを甘んじて見ている理由はない。本業である業務用のそれとその本業の雰囲気を真似たデザインだけが跋扈しているマーケット、であれば本業のままこの家庭用キッチンのジャンルに割って入った、で、早速作ったのがこれ。
前述の様に最近この手のキッチンは「それっぽいもの」も含め多いので特に目新しさは感じない。しかし大きく異なる点。それはこのキッチンが「業務用のメーカー」が作った本物のキッチンである、という点。さすがに業務用だけあって細部に妥協がない。内部の棚板、背面の仕切り板に至る材料という材料、全てがステンレス。更に全てがオーダーメイドのため板金曲げの加工で作られている。ステンレスの板金を曲げて溶接するとい仕事はどうしても人の手の跡が残りがちだ。しかしこのキッチンにはそれがない。その理由は板金そのものが厚いから加工した後に磨き込んでも十分に肉がある、といった贅沢な素材が理由。]]>
FORMALE ジャクソン
http://margherita.exblog.jp/10907887/
2010-03-28T12:30:00+09:00
2010-03-28T15:41:24+09:00
2010-03-28T12:30:43+09:00
marghe
建築
ジャクソンにあっては「普通」な感じのするタイプ。一人で入るにはちょっと大きいが。「併せて」と言うにはその理由がある。それは両方とも「光」を纏ってるということ。
ルナクリスタルの洗面器は、そこに埋め込まれているLEDが半透明の人造大理石の内部を棉って乱反射して全体を発光させるのに対しジャクソンの浴槽はオプションで水中にLED光源を入れることにより器ではなくその中に湛えられた水全体が光る。照明器具が室内を照らしているときはその発光している姿は殆ど認識されないが照明を落すとLEDが水面に乱反射してゲル状の液体が充ちているかに見える。しかもその光は時間に応じて7色に変化するというキワもの・・・と言うか優れもの。しかしそれをして室内の照明にとって代わるほどの光量はない。水面とその上部数10cmくらいまでが照射範囲だろうか。すなわち室内を照らすほどの照度ではなく、あくまでもその浴槽に浸かっている人の顔までをぎりぎり照らし出す程度。しかもブロー効果により水面が煮立った様に泡立つとその見え方は現世を忘れさせるほど。7色の変化が建築の内部空間を支配するまでには至らないためその光景はあくまでも闇の中で展開される。その絶妙な塩梅は実によく出来ていると言える。
ジャクソンの浴槽を使ったのはこれで4件目だ。その中で天井が高いケースは今回がはじめて。天井が高いと浴槽の光がその天井までは届かないので恰も露天に置かれてる錯覚も生じる。
すぐ上の写真はブローによる気泡でまるで沸騰しているかのような状態の時、更に赤く照射された宛ら地獄絵の様な姿を洗面台の鏡を通して見た様。一方下の絵はブローを起こしていない無風の状態。
まだまだあるがきりがないのでこの辺で。]]>
ルナクリスタル
http://margherita.exblog.jp/10898292/
2010-03-25T11:24:00+09:00
2010-03-27T11:29:33+09:00
2010-03-25T11:24:08+09:00
marghe
建築
「一体どういう仕組みになってるんだろう?」という疑問、それとこの形に「月」というネーミングを施したこと。月と言うより「皆既月食」の方がわかりやすいともとれる形状。でも新月寸前の光る輪郭の様ななんともロマンティックな形、それと名前。発売当初から興味があった、と言うか気になった。
これのデザインは日本人じゃないな・・・咄嗟に思った。でもこれがイタリア製だとなると今度は機能面に常に不安がつきまとう。特に衛生陶器はその接続箇所が多いし事故の時を考えるとその採用は躊躇する。しかしこのネーミングがイタリア語と英語を混ぜてるところがどうみても日本製、和製英語だ。そう、これは間違いなく日本の「もの」だ。造りもこの人造大理石の成型でこの先端の薄い形は現在のところ中国で生産するのも難しいと思う。そもそもいくらTOTOでもこの商品をして中国で作るほどのロットは想定していないはず。そういう意味では確実に日本「製」なんだろう。
このルナクリスタルを使いたいな、と思った。その反面これを受け入れる人は少ないだろうな、とも。まあせいぜい今風の小洒落た物販店舗くらいかな、と思ってた。ところがこれを寛容に受け入れてくれる住宅のクライアントが現れ早速に取り入れたのがこれ。
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芝公園クリニック
http://margherita.exblog.jp/8820672/
2008-10-25T16:40:00+09:00
2008-12-06T03:59:22+09:00
2008-10-25T16:41:24+09:00
marghe
建築
都市型の精神科としてのコンセプト、更にはクリニックとしての基本的な機能、それを発展させた平面計画はクライアントであるここの精神科医との協議に則っとり、更にそれをブラシュアップさせながら組み立てた構成となっている。まあ、それはいつものこと。そういった通り一辺倒の必要な事象を決める課程とは別にでここで強く望まれていた事があった。それを感じた。
「落ち着き」。
その落ち着きという言葉を用いないで様々な譬えから「落ち着き」を求められた。内装計画、その建築としての輪郭を持たない内部の構成に如何に「落ち着き」を展開させるか、が我々に課せられた課題であると考えた。
「落ち着き」という言葉は「不安」の対極にある。寧ろその対極にあるものを対比させてこそ、それははっきりと認識される、それが我々が立てた一つの仮説だ。「落ち着いた」気配と認識させるにはその「落ち着かない」部分があってこそその要素は引き立つと言えないだろうか。しかし対極にある「不安」と言う要素もそれだと確実に残るためにその誂えには微かな矛盾も残る。
このクリニックでは床面と同じ素材で腰壁を作っている。その腰壁部分とそれより上の壁、天井面を一つの境界と定め、境界より下は色の濃い木材で構成、逆に上は明るい色で壁も天井には至らず途中で止まり上部を透けさせている。ほぼ対極にある色彩、素材の構成をこの境界で隣接させることにした。
いわゆる西洋的とでも言おうか、物がオブジェクトとして存在する証ともなる「影」、一方で深い色の床面では影が認識し辛い。影が見えにくいこの部分に「闇」を作る、いわば「陰」を作る。上が白くて下が濃いめ、この直喩的な作りを介して「陰」と「影」を対峙させる。そんな方法を模索した。
物がその影を失うと表層が均質な状態に近づき、重量感が喪失されてくる、と言われている。その均質な状態というのはある意味で心地よい。深層心理の中では日本人誰もが持っているどこかで見覚えのある佇まいに近いものと言える。かつて日本家屋には存在していたとされるその「陰」。
一方で西洋的な「影」。物に光りがあたるとその影を必ずどこかに落とす。これは人工的な照明であってもうっすらと入ってくる自然光であっても同様。しかもその影は媒介となる面は白に近いほどその輪郭が明確になる。光源とオブジェクトと受影面という構成、その受影面を構成するのが西洋的な考え方、と言えないだろうか。
日本的な構成は落ち着く、しかし西洋的なものは我々からしてみれば基本的にはその拠り所となるものは少ない。もしかしてそうだったら、という仮説に基づいて択んだ方法。両者の対峙、その結果「日本的な落ち着き」、これを引きだすことが出来れば、と考えた。
芝公園クリニックHP>>
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都市型住宅
http://margherita.exblog.jp/8743801/
2008-10-10T13:12:00+09:00
2008-10-22T12:06:48+09:00
2008-10-10T13:13:39+09:00
marghe
建築
少々乱暴な言い方だけど「普通の家」らしくなくコンパクトなオブジェクトの中に生活空間を発展させるスタイル、だと思ってる。よく雑誌なんかで見かけるスタイル。いわゆるその建物が建つ敷地が狭い場合こうならざるを得ない。都心部だから土地が高い、だから土地が狭い、隣地や北側からの制約ももろに食らう・・・なもんでオブジェクトっぽくなる、だから都市型住宅だ、という流れ、でそうなるんだろう。
ではその土地がそこそこ広かったら。
広い敷地に都市型住宅を展開する時、その敷地目一杯に建ちながら、コンパクトに、とは行かない。土地の面積と住まい方はもともとそこに土地があった場合一致するケースは稀だ。我々の事務所でその広い土地に都市型住宅というケースにあたると
・道路から建物を遮断する。
・遮断された内部に別世界を展開する
を提案する。早い話道路面はほぼ「のっぺらぼう」に近く建物内部に中庭が展開するスタイル。しかしこの「中庭」というのが問題。家のほぼ中央に空隙を作ることは風水の思想に逆行する。中庭を提案して受け入れられなかったことがこれまでに何回かあった。建築主が風水を信じている場合・・・そうなってしまう。
しかし、最近はこの「風水」を信じている人とあんまり出会わなく、こちらの提案をすんなり受け入れてくれる方が殆ど。なもんで「広い土地の都市型住宅」に対する考え方がスムースに実行できる。
周囲から遮断する、と言うよりもその場所を「切り取る」と言った方が近いかもしれない。上の写真はその「切り取る」様子。下は切り取られた内側。早い話、中庭だ。
サイトでも紹介>>]]>
面による構成 「和室」
http://margherita.exblog.jp/8739956/
2008-10-09T19:02:00+09:00
2008-10-09T19:40:27+09:00
2008-10-09T19:02:54+09:00
marghe
建築
一方で本来の和室、と言うかモデュールで構成された均質な空間である在来の建築の一室、この空間は均質であるが故にストイックすぎて面白みに欠ける。だから和室の場合、どこかをそのルールから少しだけ逸脱させる。その逸脱の感覚が絶妙で例えば床の間の様に床長押を僅かに持ち上げることによってそこに「結界」の様な空間を演出する手法、圧巻なのは茶室の様にルールそのものをガチャガチャにしてガイドラインそのものを見えなくしておきながらそこに漂う「気配」だけを醸し出す手法、等々いろいろなことがこれまでされてきた。すなわち和室とはある規範に沿う、又は気配が感じられれば実は何をやってもいいのである。一つだけ外せないルールが残るとすれば和室とは「原則としてそこの床に座る」なのかもしれない。
そんな中で壁と天井をベニヤ板で構成した和室を作った。かれこれ16年前だけど天井面は蒲鉾型のアール面、障子を通して抜けていく外部にその軸を合わせている。柱、梁、長押は存在しなく全て「面」だけで構成したつもり。それなりに綺麗に出来たと当時は思っていたし今ここを訪れてもまんざら悪くない。しかしそもそもこの和室の存在はRCの躯体の内側に展開される。すなわち木造フレームの中で試行錯誤しながらその構成を楽しんで作ったものでなく全てが躯体から吊り込まれる「装飾」である、という点。せめてもの言い訳としてはここでは「付け柱」「付け鴨居」といった偽構造体である木製断片は使ってないというところ。
サイトに詳細>>]]>
にいくら保育園
http://margherita.exblog.jp/7647548/
2008-04-06T15:23:00+09:00
2008-10-22T12:11:03+09:00
2008-04-06T15:23:54+09:00
marghe
建築
埼玉の新座市新倉というところの「にいくら保育園」。木造で築30年を越える旧園舎の老朽化に伴う建て替え計画、保育園そのものは1年間移設して仮園舎を使用、その1年の間に工事を実行すべく急ピッチで行われたもの。
計画を進める段階で自分は「保育園らしさ」というものをあまり意識して考えてなく、通常の建築的な動線、納まり、見え方をあくまで普通に、いつもの様に進めていたつもり。それでもこうして出来上がった写真を見ると一見してそれとわかる「保育園らしさ」が漂ってくるのが不思議なところ。保育室があって、廊下があって更にそこが園庭に向かってフルに開放されていると必然的に保育園になってしまうんだろうか?とも思う。いや、園庭そのものがそもそも「らしさ」を演出しているのだろうか?とも。
この保育園は仕上げ材に「木」をふんだんに使った作りになっている。床、腰壁は全面的に木が使われている。しかもそれはクリアな塗装なのでナチュラルなテーストがふんだんに醸し出されてる。パイン系でナチュラルだと少し赤みがかかり、その床面の光の反射を受けて天井面も気持ち赤くというかピンク色に感じられる。それは保育園としては非常に好都合だそうで、0歳児保育などつい先ほどまで胎児だった子供をあずかる環境として、子供がそこで見上げた視界にピンク色が入ってくることはいいことだそうだ。我々は
・ナチュラルな床
・白い構造フレーム
・白い皮膜としての壁、天井
・天井面空隙の設定
・フレームは外部に持ち出す形で連続
・列柱、その間にサッシ
・・・と踏んでいたんだけどそういう尖った言語はあまり感じられず子供に対する「さわやかな」環境に結果なっているところがなんとも言えず微笑ましい。
とは言え、ここではあらたにいくつかのトライアルもある。その一つは前述した細い列柱とアルミサッシの位置関係。全面をガラスにしてそこが嵌め込まれている見え方ではなく半分自立したスクリーンの様に見せる。これを目指した。鉄骨造でありながら耐火建築にしなければならない、というもっともいやな条件下、柱のサイズは極力細く、更に耐火塗料による肉厚のダウンサイジングで柱梁の見えがかり部分はスレンダーにしたつもり。問題はその梁が絞られた状態で先細りにフレームから持ち出され、その間にサッシを置こうという考え。そこにかなり無理があった気もする。設計上の無理はあったものの鉄骨のジョイントはその殆どが溶接だ。しかも現地で建て方をしながらの溶接だったから精度は高い。サッシは当然精度は満たしている。あとはそれが「全面」に渡って、という量を満たすべく施工の質の問題。でもそれらも全て解決され綺麗な開口部を得る事ができた。またさらにそれによって当初あまり想定していなかった「保育園としての顔」を打ち出すことになった。
サイトで紹介>>]]>
白いバスルーム(越谷の医院併用住宅)
http://margherita.exblog.jp/7642778/
2008-04-05T20:50:00+09:00
2008-04-05T21:00:25+09:00
2008-04-05T20:50:44+09:00
marghe
建築
それとバスタブ。バスタブはそもそもの成り立ちを考えてみると「置き型」であることが一番自然だ。でなければ「床埋め込み型」がいいと思う。これは浴槽そのものの出で立ちからみると至極自然な考え方だ。しかしエプロン付きの埋め込みタイプ、おそらく日本の住宅のほぼ99%はこのスタイルだろう。ある意味それは仕方がない。埋め込むには下の階に干渉するし構造的な補強も必要になってくる。戸建ての場合は今度は排水のレベル差の問題も出てきて、最終桝まで低くなってしまう。置き型の場合だとそもそも浴室そのものがそんなに広くないのでバスタブの下の掃除に手こずる。また最近だと置き型のバスタブの場合、「追い焚き」が出来る機種が少ない、と言うか殆ど無いに等しい。といった理由から最も自然と思われる「置き型」、「床埋め込み型」のバスタブは殆どと言って例を見ない。逆にこれが実行できる環境というのは実はすごい贅沢な住まいなのだ。設計側から見るとそういう浴室をデザインすることが出来るのは実は恵まれていることなのだ、とも言える。
その幸運な仕事。床面に浴槽を埋め込んだケースはこの住宅で2件目だ。しかも浴室の2面を完全に外部に開放している。こういうケースは滅多にないこと。その滅多にないケースで再び白いバスルームを作った。床面をサーモタイルという寒さを感じさせない細かな突起のあるタイル、壁面は白いモザイクタイル、天井はVP塗装で刳るんだもの。脱衣室をも巻き込んで一体のサニタリーを形成している。
それとこの浴槽にはジェットバス、ブローバスの機能も付いている。これは実に気持ちのいい装置。ゆったりしながら刺激をうけるのはことのほか気持ちがいい。しかも浴槽が床面に埋め込まれているのでバスタブに身を沈めると目線が床面を嘗める形になる。これがまた非日常的な気分を更に高める。
しかしこのJAXONの浴槽。ジェットバス、ブローバスはいいんだけど、この設備を付けると付属の「七色変化のLED」までついてくいる。これはいらないと思う。夜間照明を消して窓を開けてバスタブに身を沈めてもそこに七色の光の演出が付いてくる。しかも室内は白一色なのでその効果もなかなか凄いものがある。まあ、点灯しなければそれでいいんだけど、そうなったらそうなったでつけてみたくなる気持ちも分からないではない。
白い開放的なバスルーム。それが実行出来る建築の置かれるコンテクスト。更には多岐に渡る技術の粋。これがないとなかなか出来ない。しかしなかなか出来ない分、その分癒される・・・という点、これが大きい。]]>
モノクロームな光景
http://margherita.exblog.jp/5622106/
2007-06-15T22:34:00+09:00
2007-07-08T13:07:19+09:00
2007-06-15T22:34:36+09:00
marghe
建築
モノクロの空間にいるとドキっとすることがある。理由は分からないけどそのストイックな構成、無機質な感覚に自然と魅せられている・・・のかどうか?自分でもはっきりと系統だった理由付けが出来ないんだけど、とにかく惹かれる。
少し過剰な表現だけど、写真家という職種はその究極な目的は「反射」を切り取っていくこと、と思う、いやそうあるべきだと思う。形ではなく光。全てがその「光の反射」を追っている、いや追うべきと言っていい。それほど写真家は光には敏感な職種。と、思う。
竣工引き渡して間もない住宅の内観写真。この住宅の床、建具は同系色、といういわば殆ど同一色で構成されている。それ以外の部分は「白系」だ。そういう意味ではそれがモノクロームになる瞬間は必ず来る、と思っていた。竣工に併せた写真を2日にかけて撮っていた時、夕方、日も落ちてデイライトの色温度が少し青みがかった時にその瞬間が来た。
咄嗟にカメラマンもその光景を切り取ってくれてこの写真が出来た。カラーのものを減色したわけでなく、モノクロの写真に単色を被せたわけではない。そのものオリジナルに近い写真。当然ながら深みがある。なんとなく自分が待ち望んでいた絵が出来るべくして出来た感じ。
本当にこうなってる!
しかし、それを写真で伝えるのは簡単な様で難しい、・・・と写真を見てて思ったのでした。
サイトでも準備中
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ツーバイフォーによる耐火構造の住宅
http://margherita.exblog.jp/5486737/
2007-05-26T15:27:00+09:00
2007-05-29T11:36:11+09:00
2007-05-26T15:27:09+09:00
marghe
建築
本来「熟練工を必要としない」工法であったはずのツーバイフォーも日本に上陸すると何故かそうでなくなる。それ専門の社団法人が出現し、その工事のみならず設計の資格に関しても様々な制限を加えてくる。それが耐火構造となると更にその規制は強化され、「誰でも施工できる」ものとはほど遠い存在となり、それ専門の業者でなければ工事も出来ないものとされてしまう。設計も講習会を受講してマニュアルにきちんと沿った設計でなければ認可されない。そのマーケット小さすぎなので殆ど文句を言う人もいなく、「規制」され放題のツーバイフォーなんだけど、その中で作った住宅がこの住宅。
この住宅は前面道路が私道42条2項道路という幅員の狭い道路。ちなみに2mない。そこに面している住宅。建築資材は人力で運ぶしかなく、しかも地盤が悪いので杭が必要。しかし杭打ち機が搬入出来ない。なもんで構造は木造しかその時点での選択肢はない。しかも耐火構造にしなくてはならない、となるとこの選択肢しかない。という自ずと決まってきた工法。でその工法の「規制」の中、試行錯誤の結果完了したのがこの二世帯住宅。]]>
15年後の撮影
http://margherita.exblog.jp/4996209/
2007-03-20T18:29:00+09:00
2007-03-25T16:08:58+09:00
2007-03-20T18:29:29+09:00
marghe
建築
そんな折り、たまたま地方在住のカメラマンと知り合って、依頼していた別件での撮影と併せて、この住宅の撮影を再度させていただく機会に恵まれた。もちろん家主はお住まいの状態なので外観だけだけど、それををいくつか撮り下ろすことができた。写真はそのときのもの。
この住宅はそもそもが写真が撮りにくい。前面道路の引きがないのと、前面道路側が北側なのでカメラを向けても逆光になる。建物そのものは限りなく白い色なので逆光になった際に意図しない色が現れる。そんなこんなでとても撮りにくい形状。晴れた日には南側と北側がまるで違う表情になる、というのも別問題もあった。
それと中庭部分は扇状に広がっていていわゆる「逆パース」状態を意図して作っている。その意図が写真で表現しにくかった、というのもあった。建築計画はあくまで写真ではなく、実物、ということも分かってるつもり。しかしどこかでその立体は映像として昇華されなければならない。そのあたりのもどかしさをこの度ようやく払拭した気がする。
それにしても15年。当時と殆ど、というか全く変わらない状態で使われ続けているこの家とその家主に感謝。それと今と違い全てを一人でやっていたこの当時、「一生懸命」にやっていた自分の痕跡があちらこちらに見受けられるのも嬉しかったことの一つ。
昔撮った写真とまぜながらサイトにも掲載
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実写の様なCG、CGの様な実写(オフィススペースの内装)
http://margherita.exblog.jp/3160118/
2006-05-31T23:14:00+09:00
2006-05-31T23:39:51+09:00
2006-05-31T23:14:56+09:00
marghe
建築
ここで標題の「実写の様なCG、CGの様な実写」。撮影時からモニターを見るとそこはまるでCGの世界、しかもうちの事務所のテイストに似ている。テイストだけではなく壁と床、壁と天井の境界がうっすら黒澄むlightscape特有のシャドウも出てる。床に落ちたピンスポットのナローな反射の様子もCG上で照明計画がうまく出来ていない時の絵にそっくりだ。
CGはその究極の姿が「実写」の様な絵に向かってることは当然のこと。そのために光の三次反射まで最近は取り入れられ、昔は高嶺の花だったラジオシティも殆ど一般的なapplicationの世界になりつつある。そういう意味では僕もCGではなるべく実写を目指してきたつもり。一方で実写がそのまま実写だと面白くない、と言うか至極普通の世界だ。
「これCGだろ?」みたいな絵が現実に撮れてるとそこの空気まで凍ってしまう戦慄を憶える。なんて思ってた。この度の写真は期せずしてCGに見える写真。これは自分ではなかなか満足。決して狙ったわけではないんだけど、ありきたりのオフィスの内装をなんとなく「昇華」させた、そんな気がする。
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伊豆高原の週末住宅_01
http://margherita.exblog.jp/2808218/
2006-03-10T23:06:36+09:00
2006-03-10T23:30:39+09:00
2006-03-10T23:06:36+09:00
marghe
建築
この家には十畳ほどのテラスがあり、冬季はガラスの建具を閉めてサンルームみたいな形になる。この季節は全開放がとても心地いい。写真はそのテラスを下から見上げた様子。そのテラスに面してまた全面開放の浴室が続き、そこには温泉も引いていてかなり気持ちのいい空気が流れる予定。
デザイン・アート系ブログ]]>
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